テルノグ

文章もお絵描きも、かきたいときだけかく。

手帳に求めるものは何かを考える

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わたしは「手帳」というモノが好きだ。
だけど、タスク管理としては全く使いこなせない。
それなのに手帳は毎年買っている。
わたしは何を手帳に求めているのか?
よく考えてみた。

考えた結果わたしが手帳に求めているのは
「できないことを、できるようにしてくれること」だ。




今回は手帳の活用の仕方というより、わたしが手帳に求めているロマンというか、なぜ手帳がほしくなるのかを書いていく。ふわっとした内容になる上に、夢見がちで、テクニックは皆無なので、そこはまずご了承いただきたい。


冊子状の紙はなんでも好きだが、特にてのひらにおさまる手帳というモノにロマンを感じる。
恐らくこのルーツは「天空の城ラピュタ」でラピュタの心臓部に辿り着いたムスカ大佐が手帳を手に古代文を「読める…!読めるぞぉ…!」と興奮気味に読んでるシーンだろう。

「あの手帳いいな」と子ども心に思ったし、他にたくさん見せ場があるだろうに今でも忘れられないシーンだ。
その後、本屋のレジ横に置いてある小さな辞書があの手帳に似ていて買ってとねだったのを良く覚えている。辞書ならもっと大きくて見易く、かつ語彙のたくさん収録されているものがある、と家にある使い古された国語辞典を渡されて「違うそうじゃない」と思ったものである。


「大人はロマンがわからぬ」と園児だか小学生だったかのわたしは感じていたので、その後は小さい辞書を欲しがることをやめた。
教科書と一緒にノートや落書き帳を買い与えられる年齢になり、さまざまな文房具に触れるようになると、手帳よりもノート、自由帳、果ては表紙がカスタマイズできるルーズリーフバインダーや、紙を束ねてホチキスで留めるなど自作に走った。



ムスカ大佐の手帳」は自分のものにはならないことを悟り、読めないものがよめる「自分の手帳がほしい」という思いは、自分でモノを買える歳になっても心に刻まれている。



 さて、今現在のわたしといえば、ほぼ日が発表され、ジブン手帳も発表され、来年の手帳はほぼ日と決めているものの、ジブン手帳ってどんなんだろう?と揺れている。
それぞれの良さを調べるのは別の機会にして、わたしは手帳に何を求めているのか?と手帳選びの原点に立ち返ってみた。


スケジュールはデジタルに頼っている。
スケジュールはマンスリーに書き込んだりカレンダーに書き込んだりするが、デジタルの方に頼ってることが大きい。
ちなみにわたしはおなじみgoogleカレンダーにRefillsというアプリを連携させて使っている。
www.fsi.co.jp
モレスキン似だともっぱらの噂。
モレスキンの手帳は使ったことがないけど)


最初にも書いたが、
わたしは手帳にできないことを、できるようにしてくれることを求めている。

そもそも、今使っているほぼ日手帳を選んだきっかけは、うまく可愛くおしゃれに或いは機能的に使っている人の色んな記事を読んだり、ガイドなんかを読んで活用して素敵な記録であふれているのを見て、わたしもやりたい!と単純に思ったからだ。こんなに可愛く使える上に、なんかタスクも片づけられてるみたいだしほぼ日を使ってる人はみんな楽しそうだし、ほぼ日を使えばわたしの非効率で給料の少ない人生も変わってハッピー! と食いついた。

 だが、わたしはほぼ日手帳以前の手帳は、ほぼ空白で手帳を持っているだけで使っていなかった。これまで通り使ったところで、効率的に仕事ができるわけでもないし給料も上がらない。
この時の、ほぼ日に食いついたときのわたしは、「ブログに載ってるような充実したほぼ日手帳」を求めていた。当然ながら、自分が買った手帳は白紙だ。

最初は、マステを買ってきて、カラーペンも、スタンプも買って、あの素敵な手帳のようなものをわたしのものにしたい!わたしだけのああいう手帳を作りたい!と頑張っていたが、あれを目的にするとうまくいかない。あれは人の作った、その人だけのものだからだ。自分のものではない。


あんなふうに使い込みたい、と思っても続かない。理想とは異なる白紙ばかりで切なくなるし、続けられない自分にがっかりする。
あんなふうに使い込みたい、と思った時に、素敵なものに埋め尽くされた手帳にする!したい!を目的にしてしまうと、素敵なものに出会わなければ手帳を開かない。

それでも、1ページに何か書いた。特に感動することは何もなかったが、とにかく起きたことを書いて、感想を、小さいことでも書いて、マステを貼った。
するとそれだけで、マステにふさわしい、素晴らしいことが起きたように見えた。
そこには、記事で見たような可愛いページとは程遠いが、間違いなくわたしが求めていた手帳が開かれていた。

そうして、少しずつほぼ日と仲良くなって、結果的にわたしだけの手帳が出来上がり、記事で見た憧れの手帳とは違うかもしれないが、しかしわたしだけの、愛着のある手帳が出来上がっていった。

それを続けてほぼ日3冊目。
起きたことを書いて感想を、考えたことを、思いの丈を、それぞれ書いてマステを貼っただけの手帳が、あることを教えてくれた。
それは、手帳を使いこなせず白紙ページしかなかったわたしが、いっちょまえに手帳を充実させることができるようになったことだ。

他にも、大勢の人数で旅行ができたり、好きなジャンルの知人友人が増えたり、いつか泊まってみたい!とずっと思っていた高級ホテルに宿泊できたり、いろんな、「できなかったこと」が気づいたら実現していることを教えてくれていた。手帳がなくても、できたかもしれない。けれど、手帳に書き込んでいなかったら、実現していたことを自覚できなかったか、自覚できてももっと後になっていただろう。


手帳は、できないことを、できるようにしてくれる。
全ての可能性はわたしの中に作られており、でもあまりにたくさんのものが生まれて作られるので、気づかないし忘れていく。

気づかないうちに実現していること、既にできそうなことを気づかせてくれるモノ。

それを思い浮かんだ時にすくい上げ書き溜め、自分の可能性を自分で思い出す助けをしてくれるモノ。

今の状態、過去の状態を教えてくれるモノ。

それがわたしにとって、手帳だ。

 最初の状態を知らなければ、目標を達成してもわからない。
そういうことを気づかせてくれる存在だ。

もっと簡単に言うなら、思った時にすぐ書き込めて、受け止めてくれる。それがわたしの手帳に求めるもの。
これだ。

カッチリ決まったところで、
来年のほぼ日のカバー、何色にしようかな。